それは、時計の針が深夜3時を指そうかという、静寂に包まれた時間帯のことでした。うとうとと微睡んでいた私を現実の世界に引き戻したのは、寝室まで届く、微かながらも耳障りな水の音。「チョロチョロ…」。その音がどこから来ているのかを理解した瞬間、私の眠気は一瞬で吹き飛び、代わりに冷たい汗が背筋を伝わりました。宗像市水道局指定業者は配管で漏水を水道修理する恐る恐るトイレの扉を開けると、案の定、便器の中では水が止まる気配なく流れ続け、タンクの中からは、まるで悪魔の囁きのように「シューッ」という給水音が鳴り響いていました。このままでは、水道メーターは回り続け、一晩で一体いくらの水道代が飛んでいくのか。想像しただけで、頭がクラクラしました。 しかし、こんな真夜中に、来てくれる水道業者などいるのだろうか。いたとしても、法外な深夜料金を請求されるに違いない。その時、私の頭に、数日前にホームセンターで見かけた「トイレ修理キット」の存在が、まるで天啓のように閃きました。「そうだ、自分で直せばいいじゃないか」。根拠のない万能感に突き動かされた私は、工具箱を片手に、深夜のトイレ修理という無謀な戦いに挑むことを決意したのです。 西脇市のキッチン修理専門業者を選ぶ配管に、敵の正体を突き止めなければなりません。タンクの蓋を開け、懐中電灯で中を照らすと、原因はすぐに分かりました。タンクに給水する「ボールタップ」という装置の、浮き球を支えるアームが、経年劣化で根元からポッキリと折れてしまっていたのです。これでは、水位を感知できず、給水が止まるはずもありません。原因さえ分かれば、あとは部品を交換するだけ。そう、理論上は。 問題は、ここからでした。折れたボールタップを取り外すには、タンクの下に接続されている給水管のナットを、レンチで緩めなければなりません。しかし、狭く薄暗いトイレの床に這いつくばり、無理な体勢でレンチを回そうとしても、長年の水垢で固着したナットは、ビクともしないのです。力を込めれば込めるほど、レンチはナットの角をなめ、状況は悪化するばかり。時間だけが、無情に過ぎていきます。 格闘すること、およそ1時間。全身汗だくになり、腕は痺れ、心はもう折れる寸前でした。その時です。力を込めたレンチが、ツルリと滑り、私の指先を強打しました。激痛に顔を歪め、思わず手を引っ込めた瞬間、その手は床に置いてあった雑巾に触れました。その雑巾が、ひんやりと濡れていることに気づくまでは。 懐中電灯で床を照らすと、そこには、先ほどまではなかったはずの小さな水たまりが広がっていました。ナットとの格闘の末、どうやら私は、給水管の接続部をさらに傷つけ、新たな水漏れを発生させてしまっていたのです。絶望。まさに、その一言でした。事態を好転させるどころか、最悪の状況に追い込んでしまった自分の愚かさに、私はその場でうなだれるしかありませんでした。 もう、白旗を上げるしかありません。私は震える指でスマートフォンを操作し、「24時間 トイレ修理」と検索しました。いくつかの業者の中から、料金体系が比較的明確で、口コミの評判も悪くない一社を選び、祈るような気持ちで電話をかけました。すると、電話口の男性は、私のしどろもどろな説明を冷静に聞き、「大丈夫ですよ、すぐに向かいますから」と、力強い声で言ってくれたのです。その一言が、暗闇の中に差し込んだ、一筋の光明のように感じられました。 約40分後、到着した作業員の方は、私の無残な格闘の跡を一瞥すると、苦笑いを浮かべながらも、手際よく作業を始めました。専用の工具であっさりと固着したナットを外し、新しいボールタップを取り付け、私が新たに作ってしまった水漏れ箇所も、パッキンを交換して完璧に修理してくれました。その全ての作業は、わずか30分ほどで終了。料金は、確かに安くはありませんでしたが、私が費やした苦痛の時間と、これ以上事態を悪化させるリスクを考えれば、十分に納得のいくものでした。 この一件は、私に、プロフェッショナルの価値というものを、骨身に沁みて教えてくれました。知識や技術は、一朝一夕で身につくものではない。そして、その対価を支払うことは、決して無駄な出費ではなく、自分では得られない「安心」と「時間」を手に入れるための、最も賢明な投資なのだと。深夜のトイレで繰り広げられた、私の孤独で愚かな戦いは、そんな当たり前の、しかし重要な真理を、改めて私に刻み込むための、忘れられない教訓となったのです。